パソコンゲームの解説、感想集[廃虚碑文]
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公開日:2005-07-10 | ページ表示数:3927回

Forest

製作:Liar-Soft
発売日:2004-02-13
原画:大石竜子 シナリオ:星空めてお、茗荷屋甚六、高尾登山
シナリオ:8 グラフィック:7 システム:7 総合:8
長所:構成力  短所:半端
種類:W_??
ファンタジー。「リドル(謎かけ)」の間、「森」に侵食され、異形の者が跋扈する新宿。そこに招かれた5人の主人公達。不可解な「リドル」に様々な「ギフト(特殊能力)」で挑む。イギリスの著名なファンタジー作品のキャラクターや設定が至る所に表れ、そこから理不尽な展開の理由、解決方法を推測しながら、「リドル」を潜り抜けて行く。要は、「不思議の国のアリス」シリーズを大本にして、それと類似の不思議空間を冒険するお話。基本的には、主人公達の悩みと成長、そして時々愛の物語。ただ恋愛は構成要素の1つ。その証拠にエンディングは1つ。謎解きでもない。証拠にこれはファンタジー。ちょっとマジメで大人な童話。永遠って何だろう、物語って何だろう、生きるって何だろう、などなど非常にストレートに哲学的な問題を討論している場面が多い(内容は大学一般教養レベルだが、答えがない問いが多い)。童話にしては具体的、これは隠すべきだろう。「リドル」は間を空けて発生するので、途中に挟まれる昔話などが、緊迫感を損う、童話としては不徹底。言葉遊び、童話系ファンタジー独特の言い回し、それを演じる声優、拡がりを持った音楽、幻想的な絵、豊富なキャラクター、空想的なストーリー、不徹底であっても童話や本物のファンタジーが好きな人は十二分に楽しめる大作だ。そして最低限度の解説がさりげなく(?)挿入される配慮は丁寧で好感できる。何より、パロディーをただの文句の複写としてではなく、キャラクターのそれとして成し遂げている所はかなりのものだ。ただ、独特の雰囲気を出すために、音声のみもしくは全く別の音声が再生される場面がありこれは再再生不可能だったり、服装が違う立ち絵が連続して表示されたり、繰り返して表示されたり言われたりする演出が多かったが、これが利点か欠点かは難しい所だ。プレー時間は12時間程度と手ごろで、言の葉を選び繋がったいくつかのショートストーリーを読んでいくという流れなので、一気にプレーする必要はない。難易度は一部引っかかるかもしれないが、選択肢はほとんどなく素直にプレーできる。システムは自動送りが出来ないので、どこまで音声が続いているのか分からず、ロスやミスが出てしまった。以外には特に問題はない。明るい話ではなく「どろどろ」という表現がしっくり来そうな成長物語が多いので、そこは注意が必要かもしれない。後は、普通のHが各2回4枚ずつでそれ以外でCGがほとんど使われていない事も同様。個人的には童話は好きなので、結構お気に入り。久しぶりに2回プレーした。(音楽は気に入った。ただ、14曲ある事になっているが似たような曲が多かったのは残念だ。)(以下ネタバレさて、えらく哲学的なお話です。もうちょっと内部に埋め込む事が出来なかったのかとも考えますが、ストーリーをプレーヤーに理解させるために基礎知識を与えているという役目があるのでしょうね。途中に出てきた出典元が分かるとより分かりやすいとはいえ、知らなくとも最低限の説明は語られるので問題はない。こういう特殊な作品としては珍しく、プレイヤーの手をとって迷子にならないように誘導してくれている。これが良いか悪いかは微妙だけれど。童話好きな自分としては、理屈っぽ過ぎてもっと無責任にやってもらいたかった。けれど、これは童話ではなく、ありふれた青少年向けの成長物語。特殊とはいえ、逸脱はしていない。それがちょっと悲しい。ただ、これは趣味の問題。パドゥアが飛んでいく件で、語り手であり聞き手でもある2人の葛藤、ぶつかり合いが非常に上手く表現されていた。最後に集めた雨森のかけらを死のアリスに語るという設定も、今まで物語の外にいた灰流とアリスが何だったのか一気に分かる劇的な場面で印象深い。雰囲気だけではなく、意味がきちんとあり、全体として構成が崩壊していないことはすごいと言うしかない。その意味・意図自体についてはどうとも思わないが。)(気になった事をいくつか考えてみる。実質的な主人公、灰流の背景。国際的な宗教組織の要職に就いている父親を持っているらしい。その設定が何故必要だったのか。雨森の親も宗教関係だし。これは、主人公の奇妙な家庭教師の設定を肯定するために付けられたものなのでしょうか。それ以外には想像が付かない。次に、(A∨¬A)を公理とする古典論理からそうしない直感主義論理の出現で、永遠の定義も変わると説明しようとしている場面がありますが、古いから間違っている、新しいから正しいだろうという推測には賛同できない。どちらも、おなじくらい不確かな説でしかないと思うのだけれど。排中律にしても「全てのものはAであるかAでないかのいずれかだ」という論理がおかしいと思う人はどれくらいいるか。長くこれは正しいとされていたし、今も多くの人は正しいと思っている。実際は「である」とは何かの定義を変えただけに過ぎない。新旧なんて関係ない、反論を見つけられない事実が正しいものだ。次に、御柱。最後の場面に出て来ました。日本だと天理教が一番有名なのでしょうか。甘露台とかいう柱が世界の中心だそうです。世界の中心は微動だにしない、動くのは周辺に過ぎない。でも本当は動いているのは、中心かもしれませんね。次に、森とはなんなのか。森に犬はいない。死んでしまったシリウスの影響か(もしくは裁判で出てくるヨハネ黙示録22章15節が関係している?)。アリスがガーデンのあるじだと言っている場面もある。そして、アリスは新顔。以前にもリドルがあった。その間2人は無関係。アリスは2人をおびき寄せるために作られた。他の3人は同様の問題を持っていたから呼ばれたのか。都知事は恒例キャラなので枠外とする。最後には「森」ではなく「世界」という言葉が使われている。「外」の「語り手」達によって導かれる結末。ただ、この「世界」と「森」は明らかに別物であるべきだ。そうなると「森」を作ったのではなく、雨森が飛び降りる直前に言ったように、見つけたのだろう。「森」は世界の境目「外」へと通じる道、もしくはもう1つの漠然とした中間点としての「世界」。「森」を見つけた2人は「外」の人間に発見され、もう1度おびき出すためにアリスが作られた。ということだろうか。最後にエンディングについて。海賊が伽子をさらった所からリドルが始まり、雨森のかけらが揃い、復活する所で終わる。森を発見した時から始まっていたのではないかとも思うが、それは不明。とにかく、「世界」の「外」に出た。要するに私達の世界に今そこに出現した。と読めるのに未だお話として扱われているので、「外」との接点がなくなっただけらしい。で、一番重要な雨森が灰流からひとり立ちしてしまった件について。これは必然。この物語は、世界の外に出る事を怖がっている5人の若者の話なわけで、もしここで恋人同士になってしまったら、元の木阿弥になってしまう。怖い怖い世間という外の世界、分からない事だらけの恐ろしい世界、その中に飛び出していくその姿こそ、この物語の目的。ならば、愛しあったあの場面は嘘なのか。それは分からない、教え子に対する愛ならセックスするのは変だし、応えるのも変だ。それよりも、物語の目的を優先させたのだろうと思う、その余地はある。

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